障害のある人の作品が世にでるとき、多くは、作品を見て魅力を感じ、その魅力をたくさんの人に伝えたいと思う人の存在があります。それは家族、友人、学校の先生、施設の職員などさまざまです。ある人には落書きのように見えるものであっても、なにか可能性を感じて、大切に保存したり記録したり、よりよくなるように工夫をしたり。全3回の「表現について考えるレクチャー・ワークショップ」では、特別支援学校・学級の先生や、障害のある人の美術教育に関心のある人を対象に、いまいちど、アートの可能性や意義を話しあい、最終的に実際の展覧会づくりまでを体験します。
11月26日(土)に第1回目のレクチャーを行いました。講師は、大阪でギャラリーiTohenを営む鰺坂兼充さん。アートにまつわる色々な考え方を、事例をまじえてお話しいただきました。今回はそのレポートをお届けします。
この日は、美術の先生だけでなく、音楽の先生もふくめて、奈良県内の養護学校から、13名の先生方にご参加いただきました。中には、ご自身もアートを見るのが好きな方や、実際に制作をされているという方も。いろいろな障害をもつ生徒にたいして、試行錯誤をかさねながら授業をされているなかで、生徒は本当に楽しんでいるのか、自分がやらせてしまっているのではないかなど、共通の悩みにみなさん頷きながら、聞いていらっしゃいました。
自己紹介のあとは、鰺坂さんからのお話しがつづきます。色々なフライヤーをみながら、展示やデザインに関わったアーティストとの出会いなどを、ひとつひとつ思い出すように語られました。鰺坂さんは、ご自身が営むギャラリーiTohenのことを「勝手にはじめた公民館」「パブリックとプライベートが混ざり合っている場所」と語ります。実際に、喫茶店や、本屋さんと思って扉をたたく人も少なくないそう。とにかく、多目的に使ってもらいたいということでした。ほかにも、ギャラリーにやってくる男の人と女の人、また美術の専門家とそうでない人の行動パターンの、緻密でユーモアあふれる観察には、参加者のみなさんからも笑いが起こっていました。
いよいよ、この日の本題へ。鰺坂さんより、絵をみたりしたときに「わかる、わからない」で思考停止していないか?という、ぎくりとするような投げかけがありました。そこでひとつの方法として提案されたのが、気に入った作品について、その魅力を伝えるテキストを書いてみるというもの。しかも、知った人ではなく、たとえば隣町の人に伝わるように。それが難しければ、関係者が集まって意見交換をするのもいいのだとか。ともかく、何回か繰り返すことが大事だと言われていました。
この作業には、ふたつのコツがあります。ひとつめは、内側について観察すること。内側とは、主題・表現の手法(媒体)、人物の環境・来歴、人物像など。本人や家族に聞いてみるのもいいそう。ふたつめは外側を考えること。外側とは、作品のタイトル、作品の文脈、制作年など。関連する資料があれば、それも見せてもらうのもいいそうです。
鰺坂さんは、そもそもアートということばの語源はars(技術)であって、人生を全うするため、よりよく生きていくためのテクニックだと説かれます。さらに、アートということばが、日本語で「芸術」と訳されてからまだ、100年ほどしか経っていないということに触れながら、なぜ今、障害者アートやアールブリュットといったことばが使われているのか、どうしてそうなったのか、ということは知ったほうがいいし、そのほうが面白いのではないかと提案されていました。知ったうえで、どう捉えてどう使うのか、もしくは使わないのかということは、もちろんその人次第。この部分も、話し合っていけたらいいのではないか、とおっしゃいました。
最後に質疑応答。実際に学校でつかっているものを持ってこられた先生がいらっしゃしました。何か表現方法のアイディアがないか、という質問にたいして、鰺坂さんはまず、「それをつかってどんな人に見せたいか?」と問いかけられました。ここでみんなで見てみましょうということで、急きょ意見交換会。「もうこのままで面白いんじゃない?」「なんか、お弁当みたいやね」など、次々に意見がとびだします。鰺坂さんいわく、無責任な意見というのは、とても貴重だそう。責任感から、すこし自分を解放するのもいいかもしれない、ということばもありました。
終了後も、障害のある人との共同制作、介入することと支援の線引きなど、日々感じている切実なお話しがつづいていました。
全3回のこのシリーズ、次回は実際に学校でうまれた作品などを持ち寄って、鰺坂さんから教わった、ふたつの視点を大事にしながら、その魅力をことばにしていきます。